Kiyoharu
1968年、3人兄弟の長男として、岐阜県多治見市で生まれた。幼少の頃は父親に対する恐怖心があり、何らかのことを相談する際は、母親ばかりがその相手であったという。岐阜県立多治見工業高等学校に入学 (入学の理由が長髪が認められていたため)、在学中にTHE WILLARDのコピーバンドに加入。高校2年の時に初めてステージに立つ。同校のデザイン科を卒業し、父親が経営する建築板金工場 (森建築板金) を継ぐ為の修行として、父親の知り合いの階段の手すりを作る工場へ就職する。下宿からその工場へ通い、8時から18時まで、残業あり週休1日の仕事を続けながら活動をしていた。その仕事は2年間続けた後退職し、森建築板金へと戻るがバンド活動に専念する為に1年程で退職。
黒夢以前に在籍したバンドはダブルベッド→SUS4→GARNET。
1991年に岐阜県を拠点として、ex.GARNETの清春とex.GERACEEの臣を中心にGARNETで一緒に活動していた人時、鋭葵と共に「黒夢」を結成する。
バンド名は「眠っていて視界が真っ暗になる状態」「夢を見ていないから真っ黒な夢」つまり「夢がない」「夢は叶わない」という意味である。これは黒夢結成当時周りのヴィジュアル系 (当時は「化粧系」と言われていた) のバンドの殆どが「幻想」「幻覚」「刹那」といったものをテーマとして取り上げていた事に対して「そういう事は全て御伽話なんだよ」「夢ばかり見てないで現実を見なよ」というアンチテーゼであった。また、当時バンド名に主に英語やフランス語等を使用した清春曰く「ラ行が多い」物であった事から、清春自身が戦略の為「絶対に漢字がいい」と、前身バンドGARNETの楽曲であった「黒夢」をバンド名にする事を決めたとも語っている。