創作太鼓はもちろんのこと、エイサー・琉球舞踊・創作舞踊など、いろいろなジャンルにも挑戦し、身体をフルに動かして楽しく練習しています。
主な活動は川越市内でのイベント演奏ですが、海外演奏や日本太鼓ジュニアコンクール(小・中・高)にもチャレンジ。『日本太鼓ジュニアコンクール全国大会』では埼玉県代表として数度本選にも出場しています。定期公演は2~3年に一度の割合で開催。
和太鼓の素晴らしさ・楽しさを味わっていただけるようにと毎回、演目に趣向を凝らしています。 Facebook
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父はアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の元ヴァイオリン奏者で、ヴィオリストの奥村和雄、弟はチェリストの奥村景。
アムステルダムで生まれ、1987年、父親の同楽団退団に伴いその故郷である新潟市に移り、中学卒業まで同地で育つ。
1994年、第48回全日本学生音楽コンクール全国大会・中学生の部で第1位、1997年(第66回)及び1998年(第67回)日本音楽コンクールヴァイオリン部門で入選、1999年(第68回)同第2位入賞。 桐朋女子高等学校音楽科を卒業後、桐朋学園大学のソリスト・ディプロマ・コースで学んだ。辰巳明子に師事。
2002年、「愛のあいさつ」でCDデビュー。小品で構成され、トークを売りにした演奏会で知られる。条件を満たした入場者との記念撮影会を行ったり(富士山河口湖音楽祭2007、2008、2009、2010)、ファンミーティング(写真撮影会)を含んだイタリア-オーストリア旅行に参加を予定したりしている。
2004年、オーストリア・ウィーンに渡り、ライナー・ホーネックのレッスンを受けた。時期を同じくして女児を出産。のちに渡米。
プライベートについて公言することはなかったが、2008年、雑誌やラジオ等で「3歳の娘」について語った。
及川浩治HP
及川浩治×大阪フィルとともにタッグを組み、雄大なロシアの情景を描き上げます!
1962年4月に、読売新聞社(現:読売新聞東京本社)、日本テレビ放送網、讀賣テレビ放送の3社が母体となって設立されたオーケストラである。同年9月に最初の公演を開催した。1967年には、アメリカの指揮者アーサー・フィードラー指揮による初の海外公演(アメリカ・カナダ)を挙行した。1968年にはペンデレツキの「ルカ受難曲」日本初演で、日本のオーケストラでは初めて「芸術祭大賞」を得た。1979年から1995年にかけてはゲンナジー・ロジェストヴェンスキーによるショスタコーヴィチの交響曲全曲演奏を、世界で初めて同一オーケストラ、同一都市で実施した。1982年、1987年、1992年にはそれぞれ三善晃、武満徹、西村朗に作品を委嘱し、世界初演を行った。2001年からは常任指揮者ゲルト・アルブレヒトの発案により「日本人若手作曲家委嘱シリーズ」を開始、望月京ら若手作曲家の委嘱作品を年に1曲のペースで初演した。アルブレヒトの退任後はこのシリーズは終了したが、新作の委嘱・初演は正指揮者であった下野竜也時代にも活発に続いていた。また2002年にはワーグナーの「パルジファル」を日本では久しぶりに舞台上演。2003年には三島由紀夫の原作に基づくハンス・ヴェルナー・ヘンツェのオペラ「午後の曳航」の世界初演も行った。
かつてはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(いずれも当時)と同様に、団員を男性に限定していた。これは、音楽大学卒業者の女性比率が高い日本では異色であったが、現在は女性にも門戸を開いている。
アーティストインタビュー
当公演では、アルタリア社からモーツァルト「最後の偉大なソナタ」と銘打って出版された92年に書かれたエーベルルの作品1のソナタ、ピアノ音楽の街ウィーンから生まれた「トッカータ」、ベートーヴェンと比肩するヴァイオリンソナタを。モーツァルトの作品からは名品ヴァイオリンソナタを2曲お届けします。
小倉貴久子/メヌエット・デア・フリューゲル
モーツァルトを夢中にさせたバッハの《平均律クラヴィーア曲集》《パルティータ》。ザルツブルグではシュペート製のタンゲンテンを愛用していたモーツァルト。新たな初期のソナタ像が浮かび上がることでしょう。 小倉貴久子/メヌエット・デア・フリューゲル
今夕は、そんなモーツァルトの源泉を聴くようなシュレーターの弦楽器とクラヴィーアのための作品各種。モーツァルトのヴァイオリンソナタとディヴェルティメント(トリオ)と、珠玉の名曲ト短調のカルテットを色彩豊かにお届けします。 小倉貴久子/メヌエット・デア・フリューゲル
及川浩治(おいかわこうじ)
1984年ヴィオッティ・ヴァルセイジア国際音楽コンクールで第1位受賞、以降、ショパン国際ピアノ・コンクール最優秀演奏賞、マルサラ国際音楽コンクール第1位受賞など国際コンクールでの優勝・入賞多数。2008年~11年には「10大協奏曲シリーズ」に取り組み、15年にはデビュー20周年記念全国ツアーを行った。近年は海外オーケストラとの共演も多く、現在、宮城学院女子大学音楽科特任教授。CDはショパン、ベートーヴェン、リスト、ラフマニノフなどの作品集をリリースし、いずれも高い評価を受けている。
オフィシャルサイト http://www.koji-oikawa.com
外山啓介(とやまけいすけ)
第73回日本音楽コンクール第1位。東京藝術大学卒業後ハノーファー音楽演劇大学留学を経て、2011年東京藝術大学大学院を修了。洗足学園音楽大学非常勤講師。札幌大谷大学芸術学部音楽学科講師。07年CDデビュー、サントリーホールをはじめ各地で行われたデビュー・リサイタルが完売となる。ほぼ毎年CDをリリースし、09年『ラフマニノフ』と13年のCD『展覧会の絵』は「レコード芸術」誌特選盤に選出されている。16年はベルリン交響楽団日本ツアーにソリストとして参加。17年は最新CD『MY FAVORITES』を発表しデビュー10周年記念ツアーを実施 http://www.keisuke-toyama.com
松田 華音(まつだ かのん)
4歳で細田淑子に師事、ピアノをはじめる。2002年秋、6歳でモスクワに渡りエレーナ・ペトローヴナ・イワノーワに師事、翌2003年、モスクワ市立グネーシン記念中等(高等)音楽専門学校ピアノ科に第一位で入学。その後多数のコンクールで1位を受賞する。2013年2月、モスクワ市立グネーシン記念中等(高等)音楽専門学校で外国人初となる最優秀生徒賞を受賞。翌2014年6月同校ピアノ科を首席で卒業。9月、モスクワ音楽院に日本人初となるロシア政府特別奨学生として入学。2014年秋にドイツ、グラモフォンよりCDデビュー。2017年に最新アルバム「展覧会の絵」をリリース。
アルプスの大自然に優しく包まれるかのような、心癒される音色をお楽しみください。
藤原真理(チェロ) Mari Fujiwara, Cello
1959年桐朋学園「子供のための音楽教室」に入学、以後15年間斎藤秀雄に師事。71年第40回日本音楽コンクール・チェロ部門第1位および大賞を受賞。その後フルニエ、ロストロポーヴィチ両氏に師事。78年第6回チャイコフスキー国際コンクール第2位受賞。以後名実ともに日本を代表するチェリストとして国内外で活躍。2014年10月ナクソス・ジャパンよりリリースのJ.S.バッハ無伴奏チェロ組曲の新録音
Yokohama's population of 3.7 million makes it Japan's largest city after the Special Wards of Tokyo. Yokohama developed rapidly as Japan's prominent port city following the end of Japan's relative isolation in the mid-19th century, and is today one of its major ports along with Kobe, Osaka, Nagoya, Hakata, Tokyo, and Chiba.
The 2002 FIFA World Cup final was held in June at the International Stadium Yokohama. In 2009, the city marked the 150th anniversary of the opening of the port and the 120th anniversary of the commencement of the City Administration.
In November 2010, Yokohama hosted the Asia-Pacific Economic Cooperation (APEC) meeting.
公益財団法人 日本センチュリー交響楽団(にほんセンチュリーこうきょうがくだん、Japan Century Symphony Orchestra)は、大阪府豊中市(服部緑地公園内)に本拠を置くプロのオーケストラ。日本オーケストラ連盟正会員。1990年に大阪府運営のプロ吹奏楽団(当時、都道府県運営の唯一の吹奏楽団)の大阪府音楽団を発展的に解消する形で、大阪センチュリー交響楽団として設立された。2011年4月1日に現在の名称となった。
大阪府は、1952年10月から吹奏楽団として、大阪府音楽団を運営していた。大阪センチュリー交響楽団の設立に伴い、大阪府音楽団は、発展的に解消している。
1989年に大阪府が20億円を出資して設立された大阪府所管の財団法人大阪府文化振興財団が運営する形で大阪センチュリー交響楽団が創設され、1990年3月にデビューコンサートを開催した。2管、55人規模の編成である。発足時は、常任指揮者にウリエル・セガル、指揮者に岡田司・小田野宏之・梅田俊明が配された。その後、常任指揮者にセガル、首席客演指揮者に小泉和裕(のちに佐渡裕も加わる)となる。1997年から常任指揮者高関健体制になった。2003年からは組織の改編があり、首席指揮者に小泉、専任指揮者に金聖響が就任した(金の任期は2006年3月で終了)。2008年4月から小泉は音楽監督になり、沼尻竜典が首席客演指揮者に就任した。セガルは名誉指揮者となっている。小泉が首席指揮者に就任以降、3回の定期演奏会は「二都物語」と銘打って、各地のオーケストラと共演した。主にザ・シンフォニーホールで定期演奏会を開催している。
1991年7月、大阪府文化振興財団は大阪府豊中市の服部緑地内に、総工費16億円をかけて練習場(センチュリー・オーケストラハウス)と服部緑地野外音楽堂を整備した。音楽堂は1500平方mで2700人を収容でき、練習場は地下1-2階の2000平方mの規模。合同練習室や音楽関係の書籍の閲覧ができる情報サロンも併設された。
平和な生活を蝕んでいく暴力的な侵攻と抗戦を描く第1楽章、勝利をイメージさせる第4楽章の輝かしい結末から、ソ連のプロパガンダを強く感じさせる曲として『壮大なる愚作』と評されたこともある。
しかし、ショスタコーヴィチが込めた想いは、一国の勝利や故郷への愛情、敵国のファシズムへの抗戦、そんな狭量には留まらなかったはずだ。
ショスタコーヴィチが交響曲第7番を作曲中であることをラジオ放送の電波に乗せて発表し、故郷レニングラードへの熱い想いを語ると共に、レニングラード市民の前でこの交響曲を演奏することを誓い、プロパガンダ的ではあるものの、市民に感動を与えたのが1941年の9月17日。
奇しくも77年の年月を経た同日、2018年9月17日、劇響による1曲渾身の交響曲第7番ハ長調作品60『レニングラード』で、ショスタコーヴィチが曲に込めた壮大な真のメッセージを感じていただきたい。